SAJの歴史  ⇒ ⇒ ⇒  SAJのはじまりと代表交代まで




    SAJは、2003年3月まで代表を務めた春名ひろこさんが、アメリカのステップファミリー支援団体であるSAA(Stepfamily Association of America)に助力を求めたことからスタートしました。ステップファミリーに関する支援はおろか、「子連れ再婚家庭」への援助が必要だという認識すらない日本にも、支援を必要とするステップファミリーがたくさんあり、これからも増え続けるに違いないと考えたのでした。そして彼女に賛同したステップファミリーとして暮らす人間がスタッフとして集まり、これまで活動を続けてきました。


    SAJでは、スタッフはみな、ボランティアで活動を行っています。代表も例外ではなく、残念ながら春名さんは、ご自身の仕事の関係でSAJの活動を続けることが難しくなり、2004年4月からは、彼女に代わって私が代表を務めることになりました。


    私は明治学院大学社会福祉学科を卒業後、アメリカに渡って結婚、一女をもうけたあとで離婚し、2001年1月に現在の夫と再婚しました。初めてSAJの活動に誘われたのは、欧州に住む夫と入籍し、同居を始めるためのちょうど引越し作業中。別の新しいことを始められる状態ではなかったため、とりあえずは「引越しが済んだら改めて話し合いましょう」と答えたのを覚えています。


    夫は日本の会社から欧州に派遣された駐在員ですから、妻の私は働くビザをとることができないため仕事はできないこと、15年を過ごしたアメリカを離れるのが寂しくてアメリカと関わる仕事をしていきたいと考えていたこと、そしてなによりも、新しい家族がステップファミリーとしてやっていくために少しでも手がかりとなる情報が欲しいと思ったことから、引越しがひと段落した同年5月SAJのお手伝いを始めました。当時はSAAとのやり取りを翻訳・通訳するだけの「お手伝い」のつもりで始めた活動に、いつの間にかすっかり引き込まれ、代表まで務めるとは全く想像もしていませんでした。


   SAAとSAJの橋渡しとして各種翻訳やLEAVESプログラムの整備などを行ってきていたので、SAAの流れをくむSAJの理念についてはよく理解していたつもりの私ですが、代表を引き受けるとなるといろんな問題ができてきます。もっとも大きなネックは、私が過去18年にわたって海外暮らしをしており、現在も海外に住んでいるということでした。


    SAJではこれまでもインターネットをフルに活用して交流を図ってきたわけですが、対面を含めた運営委員同士の連帯は大変重要ですし、海外にいたのではできる活動とできない活動がはっきりと分かれてしまいます。そういった懸念もありましたが、私の手が及ばない事柄については改めて他のスタッフの協力をお願いして、4月からの代表交代が実現することになりました。


(「ステップファミリーハンドブック 2004年版」より)